私は、自分がちょっと幸せになれることのリストを、
常に手帳に貼って持ち歩いています。
「幸せリスト」です。
朝、紅茶を飲むとか、
お風呂に入るとか、簡単なことばかり。
これを作ってから、自分が好きなことがよりはっきりと分かるようになって、
自分で自分のご機嫌を取るのが上手になりました。
自分が幸せ、と思える事をきちんと自覚して把握することは、
自分に自信を持つことにもつながります。
なぜなら、何か嫌なことがあった時にも、
逃げ込めるシェルターがあるからです。
そこで自分がちゃんと回復できると前もって分かっていれば、
人とぶつかることや、1時的にストレスを受けることを、
過度に恐れる必要もなくなります。
例えば、職場で何か嫌なことがあっても、
「週末は犬と田舎のお蕎麦屋さんへドライブに行こう!」と思えば、
嫌なことなんてすぐに吹き飛びます。
こういう「心の避難所」があると、「強さ」にも繋がります。
人生では、多少人に迷惑をかけてでも自分の幸せを優先して守らないといけない時があります。
こういう時、「心の避難所」がない人は、
人との衝突を恐れるあまり、自分の幸せを我慢してしまいます。
結果的に、争いによるストレスは避けられるかもしれませんが、
長期間に渡って自分の中にストレスを抱え込むことになりがちです。
「心の避難所」があれば、人に多少迷惑をかけることは覚悟の上で、自分の幸せを優先できます。
もちろん、1時的にストレスは発生しますが、
それは「心の避難所」ですぐ回復できること。
そして、自分の幸せを優先する選択をしたことによって、
長期的に幸せになる道を選びます。
結果的にその方が、人に対して優しくなれて、周りにとっても良い選択だと思います。
「我慢」と「優しさ」を混同してはダメです。
「我慢」は実は「弱さ」の表れだったりします。
もちろん、「幸せリスト」が全く役に立たない時期というのは、人生誰にでもあると思います。
こんなリスト1枚で、誰もが幸せな人生を送れるなら、何の苦労もありません。
私にもそんな時期がありました。
我が子のような存在の愛犬が大病をして、大きな手術を2回もしなければいけなかった時期。
毎日、暗いトンネルの中を歩いているようで、ただただ辛かった。
図書館の、「ペット」のコーナーの前を通ることさえできなかった。
あんなに好きだった「幸せリスト」は見る気も起きず、
むしろ嫌いになりかけていました。
紅茶を飲んで幸せ?
ふざけんな!という感じでした。
お風呂に入って幸せになるどころか、
毎晩、お風呂の中で隠れて号泣してました。
自分はなんて薄っぺらい幸せの価値観を持っていたんだろうと思いました。
実際、その時期には何をやっても無駄だったと思います。
人生で1番大事な家族が病で苦しんでいる時に、
いくら部屋にバラの花を飾ったところで、なんの慰めにもならない!!!
圧倒的な悲しみの前に、
「幸せリスト」など、薄っぺらい無力なものです。
それでも、私はこのリストが完全に無意味なものだとは思いません。
「幸せリスト」は、幸せになるためにやるものではなくて、
そこそこ幸せな前提があってこそ、やる余裕のあるものです。
1年くらいすると、またこのリストを見てみようか、という気持ちになってきました。
人の、「立ち直る力」って、本当にすごいなと思います。
この時期に、私は人の「レジリエンス」の力にすごく興味をもって、たくさんの本を読みました。
もう一生このトンネルから抜け出すことはできないんだ、と真剣に思い詰めていたのに、
しばらくすると、遠くに小さな光が見えてくる。
それが日に日に少しずつ大きくなって、
いつかまた外の世界へ出ている。
心臓がバクバクすることなく、ペットコーナーの本を戻すことができるようになるまで、3年くらいかかりました。
「レジリエンス」に関しては、また別のコラムに書きます。
少しずつ、またこのリストを楽しむ生活に戻ることができました。
本当に辛い時には役に立たなくて、
1度嫌いになった「幸せリスト」でしたが、
私はやっぱりこのリストが好きです。